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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)8509号 判決

原告 畠山英一

右訴訟代理人弁護士 谷口進

同 難波雄太郎

被告 日本中央競馬会

右代表者理事長 武田誠三

右訴訟代理人弁護士 畠山保雄

同 田島孝

同 石橋博

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五四年一二月一四日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、訴外奄美蛇研の経営者として、競走馬用飼料添加剤の製造販売を行っていた者である。

2  被告は、日本中央競馬会法に基づき競馬法に定める中央競馬を行うものとして設立された法人である。

3(一)  原告は、昭和五三年一月頃から、マムシ等の蛇の体成分を主成分とする競走馬用飼料添加剤「アマミストロング」(以下、本件添加剤という。)を研究開発し、同年六月には、被告の附属機関である競走馬総合研究所の永田雄三博士の助言賛同を受け、その後、被告の附属機関である栗東トレーニングセンター(以下、栗東トレセンという。)及び美浦トレーニングセンター(以下、美浦トレセンという。)内の各厩舎において販売する計画で製品化を進めた。

(二) そして、昭和五四年一〇月、財団法人競走馬理化学研究所(以下、理化学研究所という。)において、本件添加剤の製品につき、日本中央競馬会競馬施行規程七九条一項に定める禁止薬物(以下、禁止薬物という。)の検査を受けてこれに合格し、同年一一月、被告の美浦トレセン競走馬診療所管理課長種田英司を訪ね、本件添加剤を同トレセン内の各厩舎において販売するために同トレセン内に立入ることの許可を求めたところ、同人から原告が本件商品を直接販売することは好ましくないので飼料販売会社を利用するよう示唆された。

(三) そこで、原告は、昭和五四年一二月一〇日頃、競馬飼料株式会社(以下、訴外会社という。)との間で、本件添加剤につき独占的な委託販売の合意をし、その上で同月一四日、訴外会社栗東出張所長佐野新一とともに、被告の栗東トレセン競走馬診療所管理課長多田恕を訪ね、本件添加剤を同トレセン内の各厩舎において販売したいとの意向を示したところ、多田課長は、原告及び佐野に対し、本件添加剤には禁止薬物が含まれていないのであるからそれを同トレセン内で販売することを拒絶する正当な理由はなく、また、それを禁止する権限もないのに、「マムシはイメージが悪い。」あるいは「新製品の販売は認めない。」等の理由で、本件商品の栗東トレセン内における販売を拒否ないし禁止し、よって、原告と訴外会社との間の前記合意を同月一八日解消するに至らしめて、栗東トレセン及び美浦トレセン内における本件添加剤の販売を事実上不可能にして原告の営業を妨害した。

4  原告は、前項(三)の多田課長の行為により、以下の通り合計八六四六万円の損害を被った。

(1) 本件添加剤の商品化に要した費用 一二四六万円

イ 第一次製品化資金 二四七万円

ロ 第二次製品化資金 二六四万円

ハ 設備資金 三一〇万円

ニ 商品化資金 一四〇万円

ホ 試作研究費、雑費 一九〇万円

ヘ 人件費 九五万円

(2) 逸失利益 五四〇〇万円

栗東、美浦の両トレセン内において本件添加剤を販売すれば少なくとも一か月に二〇〇万円の純益が上げられたもので、営業を開始することのできた昭和五五年一月から同五七年三月までの二七ヵ月分の逸失利益である。

(3) 本件によって原告が被った精神的苦痛に対する慰藉料は二〇〇〇万円を下回らない。

5  よって、原告は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、原告が被った損害の一部である二〇〇〇万円の支払いと、これに対する不法行為の日である昭和五四年一二月一四日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1の事実は知らない。

2  同2の事実は認める。

3  同3の(一)の事実は知らない。同3の(二)の事実は認める。同3の(三)の事実のうち、原告と訴外会社との間で、原告主張の頃、本件添加剤の販売について商談したこと、原告と佐野が原告主張の日に、多田課長を訪ね、本件添加剤を販売したい意向を示し、これに対して多田課長が被告の栗東トレセン施設内において本件添加剤を販売することは控えてほしい旨原告に求めたことは認め、その余の事実は否認する。

本件においては原告のいう営業妨害は存在しない。多田課長が販売一般の禁止を行える立場にないことは常識上判然としており、多田課長からトレセン構内での販売を断わられたとしても、その一事をもって直ちに営業妨害だというのは当たらない。

また多田課長が右意見を述べたことについては以下の通り正当な理由がある。

すなわち、第一に、本件添加剤にはマムシの体成分が含まれているものとされるところ、競馬の社会においては、昔から、マムシには興奮作用があるものとして受けとめられており、被告においてはその取扱いについては日頃から調教師その他の競馬関係者に注意換起を行ってきたものであり、その上、第二に、原告の前記来訪に先立つ昭和五四年六月アメリカ製の飼料添加剤「バイプロミン」から禁止薬物であるカフェインが検出された事件があって、被告においては禁止薬物や飼料添加剤の取扱いについて特に注意をしていたものであり、以上の理由により、栗東トレセンにおける禁止薬物の取締りにつき責任ある立場の多田課長が、前記意見を述べたことは職責上やむを得ないところである。

4  同4の事実は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実は《証拠省略》によりこれを認めることができる。

同2の事実は当事者間に争いがない。

二  本件はトレセン内における飼料添加剤の販売許否をめぐる紛争であるが、その事実の経過は次のとおりである。

1  《証拠省略》によれば、原告は、昭和五三年初めころから、マムシ、ハブ、ガラガラ蛇、コブラ等の蛇の体成分を含んだ競走馬用の飼料添加剤「アマミストロング」の研究開発を始め、同年六月には、被告の附属機関である競走馬総合研究所の永田雄三博士を訪れ、マムシを競走馬に使用することの効果について栄養学的観点からの相談をし、それが競走馬を丈夫にするのに役立つであろうとの説明を受け、その際、競馬会内部で物を売ろうとするのであれば禁止薬物の規制は非常に厳しいので十分に注意するように忠告されたが、マムシがその点で特に問題になるとの指摘は受けなかったこと、その後、営業的観点から、本件添加剤を競走馬の集中している栗東及び美浦の両トレセンにおいて販売する計画でその製品化を進め、まず、その試供品につき、昭和五四年六月、理化学研究所の検査を受けて禁止薬物を検出しない旨の結果を得たこと、そして、同月末頃原告は被告の馬事部の獣医課を訪れ、その副長に会い、本件添加剤を栗東、美浦の両トレセン内で販売することと、そのために両トレセンに出入りすることの許可を得ようとしたところ、マムシはイメージが悪いと言われた上、当時バイプロミン事件(その内容については後に認定する。)が発生しており調教師が飼料添加剤に過敏になっているから本件添加剤の販売は二~三ヵ月延ばしたほうがよい、またトレセンに入る許可については各トレセンの診療所の管理部を訪ねてそこで申し入れるようにと言われたことを認めることができ、以上の認定に反する証拠はない。

2  次に請求原因3の(二)の事実(理化学研究所の検査合格、美浦トレセン種田課長の示唆)は当事者間に争いがない。

3  請求原因3の(三)の事実のうち、原告が、訴外会社との間で、昭和五四年一二月一〇日頃、本件添加剤の販売について商談をしたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、右商談の内容は、次のようなものであったことが認められる。

すなわち、原告は、昭和五四年一二月一二日、訴外会社の東京分室の脇野常務を通じて訴外会社美浦本社専務川西正と会って商談をし、訴外会社が本件添加剤を一手に受託販売し、その売上の一五パーセントを手数料として受けとり、営業、宣伝等は、原告の経営する奄美蛇研から従業員が出向して行うといった内容の概括的な話合いをしたが、川西としては、これはあくまでも本件添加剤が調教師等の関係者に喜んで受け入れられるものであることを前提としたものであり、しかも、原告と川西とはこのときが初対面でもあったので、本件添加剤の製品の納入時期及び営業の具体的段取り等について具体的に取り決めるまでには至らず、委託販売につき確定的な合意が成立したわけではなかったことを認めることができ、以上の認定を左右するに足りる証拠はない。

4  また、請求原因3の(三)のその余の事実のうち、原告が、佐野とともに、昭和五四年一二月一四日、栗東トレセン競走馬診療所管理課長の多田恕を訪ね、本件添加剤を同トレセン内の各厩舎において販売したい意向を示したこと、これに対して、多田課長が、被告の施設内において右添加剤を販売することは控えてほしい旨原告に求めたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すれば、原告は、その際、多田課長に対して、本件添加剤の内容等を説明し、理化学研究所の検査で禁止薬物の含まれていないことが証明されていること、本件添加剤の製造番号ごとの検査にも応ずることを述べ、栗東トレセン内での本件添加剤の販売を容認するよう何度も懇願をしたこと、ところが、多田課長は、競馬の社会では、本件添加剤に含まれるとされるマムシは興奮作用を持つものと昔から信じられ、その競走馬への使用には暗いイメージがあること、及びバイプロミン事件により被告は非常に信用を失墜しており、飼料添加剤等の新製品については当分の間販売会社にも販売を見合せてもらっている状態であることを説明し、それらの理由から診療所の立場としては本件添加剤の栗東トレセン内における販売には同意しかねると繰り返し応答したこと、そこで、最後に、原告は、営業のために厩舎を回ることも駄目であるかと尋ねたが、多田課長からこれも認めないとして断わられたことを認めることができ、以上の認定を左右するに足りる証拠はない。

さらに、《証拠省略》によれば、前記多田課長とのやりとりの後、佐野は、訴外会社の専務川西正に対し、本件添加剤を栗東トレセン内において販売することは、バイプロミンの一件のために、多田課長に認められなかった旨報告し、その後、同月一八日に、原告から同旨の電話連絡を受けた川西は、本件添加剤にそのような問題があるのであれば、本件添加剤を扱うことはやめにしたい旨応答したこと、これによって、直ちに、原告は、被告の栗東、美浦トレセンにおける本件添加剤の販売を断念し、翌一九日には、被告本部の文書課を訪ね、被告の営業妨害に基づく損害賠償を請求する旨通告していることを認めることができ、以上の認定を左右するに足りる証拠はない。

三  そこで、次に、多田課長の前記行為が原告の営業を妨害するものとして違法なものと言えるかについて検討する。

1  競馬法三一条は、競馬の公正確保の目的から、出走すべき馬につきその馬の競走能力を一時的にたかめ又は減ずる薬品又は薬剤を使用した者に対する罰則を規定し、さらに、競馬法二四条を受けた競馬法施行令一六条一一号は、被告において定める競馬の施行に関する規約に記載しなければならない事項の一として、「馬の競走能力を一時的にたかめ又は減ずる薬品又は薬剤の使用その他競馬の公正を害すべき行為の取締りに関する事項」を定めている。そして《証拠省略》によれば、日本中央競馬会法八条に基づく日本中央競馬会競馬施行規程七九条は、その一項において「出馬投票をした馬について別表(2)に掲げる馬の競走能力を一時的にたかめ、又は減ずる薬品又は薬剤を使用してはならない」と、二項で「前項に規定する薬品又は薬剤以外のものであっても、出馬投票をした馬について馬の競走能力を一時的にたかめ、又は減ずる目的をもって使用してはならない。」とそれぞれ定め、右別表(2)としては現在四二種類の薬品又は薬剤を掲げていること、さらに、右規程七九条の違反について同規程一一二条、一二〇条、一二二条、一二六条の制裁が課せられるものとされていることを認めることができる。

2  《証拠省略》によれば、栗東トレセンは被告の附属機関の一であり、トレセン場長の下に副場長、公正室長、競争馬診療所長が事務を分掌し、多田課長は診療所長の下で同トレセンにおける禁止薬物の取締り、厩舎関係者への指導等にあたっていたことが認められる。

3  そして、《証拠省略》によれば、競馬関係者の間では、昔からマムシには興奮作用があるものと信じられ、それを興奮剤とする目的で競走馬に与えたことがあり、それはタブーとされていたこと、また、昭和四三年に理化学検査が施行されるに当り関係者にその趣旨が説明された際に、マムシが興奮剤となるか否かにつき質問が出され、それに対して、マムシは競馬の社会では昔から興奮作用があるものとして考えられるのが常識となっているので、出馬投票をした馬に対して使用すれば、前記競馬施行規程七九条二項に該当するものと認定される場合があるので十分に注意して欲しい旨の説明がなされたことのあること、さらに、被告が、厩舎関係者に薬物取締りの趣旨を徹底させて、その違反を防止する目的で作成配布しているパンフレットにも、理化学検査についての質疑応答として、右の旨が記載されていること、そして、原告が多田課長を訪ねるに先立つ昭和五四年一二月初めころ、栗東トレセン所属の某調教師が、多田課長を訪ね、自分の郵便受けに本件添加剤のサンプルとパンフレットが投げ込まれていたが、パンフレットにある通りマムシが成分に含まれているとすると、これを競走馬に与えることは競馬の公正確保上遺憾であるとの意見を述べたこと、そこで、多田課長は、パンフレットに本件添加剤の使用者として記載されている内藤繁春調教師に対し、その使用につき真偽を確かめたところ、同人はこれを否認したことを認めることができ、以上の認定に反する証拠はない。

さらに、《証拠省略》によれば、バイプロミン事件とは、昭和五四年の六月二四日から七月七日にかけて、札幌競馬に出場したいずれも栗東トレセン所属戸山厩舎の競走馬三頭から禁止薬物であるカフェインが検出され、競馬法違反の容疑で警察による捜査がなされたが、結局その原因は、アメリカ製の競走馬用飼料添加剤バイプロミンにカフェインが含有されていたことにあったという事件であり、バイプロミンはかつて理化学研究所の検査を受けてそれに合格していたのであるが、検査を受けていなかった製造番号のものから、カフェインが検出されたものであったこと、そして、被告は右事件によって信用を大きく毀損されたとしてこれを重大なものと受けとめ、診療所長会議を開いて対策を検討した上、同年七月二五日には、厩舎関係者に対し、文書で添加飼料等についての注意を促し、その中で添加飼料については製造番号ごとに検査を受けたものであることを確認の上で購入するように通知したこと、また、同年一〇月二六日には、飼料添加物等の販売業者に対し、文書で飼料添加物等の製造番号ごとに検査を受けるよう依頼したこと、さらに、栗東トレセンにおいても、同年七月、厩舎関係者に対し、バイプロミンの使用禁止及び前記と同様の注意等を文書で通知していること、そして、栗東トレセン競走馬診療所では、飼料添加剤の新製品については、販売業者に対して、販売をしばらく控えるよう申し入れていたことを認めることができ、以上の認定に反する証拠はない。

4  以上認められる事実を総合すると、多田課長は、バイプロミン事件の発生後競馬関係者が飼料添加剤に対して慎重になっており、栗東トレセンにおいても新たな飼料添加剤の使用は控えるように努めていた状況の下で、同トレセンにおける禁止薬物の取締り、厩舎関係者への指導について責任を負う立場から、競馬の社会において昔から興奮作用を有する疑いのあるものとしてその競走馬への使用につき特に注意をしていたマムシを含有する本件添加剤について、その栗東トレセン内における販売に同意することはできないと申し述べたものであり、これは、右事情の下においては職務上当然の正当な行為というべきであるから、たとえ、その為に原告が、結局本件添加剤の販売を断念するに至ったとしても、原告の営業に対する不当な妨害として違法性を有するものということはできず、他に右違法性を認めるに足りる証拠はない。

四  よって、その余の事実につき判断するまでもなく、原告の請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 藤井正雄 裁判官 大前和俊 藤井敏明)

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